4.2016 「おふろのともだち」
健太がお風呂に入ると、いつもシャンプーやリンスが話しかけてくる。うるさいなぁと思っていた健太だったが、彼らがいなくなるとその有難みに気づいてー。
トットットッ。
お母さんの足音が聞こえてきます。
「ああ、おふろに入る時間だ」
健太は、机の上に置いてある時計を見ました。夜の八時です。
ガチャン。
「健太ー。おふろに入ってー」
お母さんが健太を呼びに来ました。
「はーい」
毎日毎日、めんどくさいなぁ。
健太は、洋服を脱ぎながらそう思います。
「あら、今日は八時十五分ね。昨日より五分も早いじゃない」
「今日の学校はどうだったんだい?かけ算のテストはどうだった?」
おふろに入るとまず、おしゃべりなシャンプーとリンスの兄妹が訊いてきます。
「今晩は~、健太くん。今日は体洗おうね」
バラの絵が描かれたボディソープが、健太を見て言いました。
「そういえば、この前言っていたリレーの選手には選ばれたの?」
「早く冬にならないかしら。汗くさくって嫌になっちゃう」
おふろのブラシが、石鹸が、健太に話しかけます。
「テストは90点だったよ」
答えながら、健太はうるさいなぁと思いました。
シャンプーもブラシもお母さんみたいだ。
僕は静かにおふろに入りたいのに。
次の日。
「健太―。おふろ入ってちょうだい」
お母さんが、健太を呼びに来ました。時計の針は七時五十分を指しています。
今日は早いって言われるんだろうな。
「よう健太!今日は八時ぴったりだな」
健太の予想通り、壁のタイルが話しかけてきました。
「たかしにきいたよ」
健太はタイルに向かってぼそっと言います。
「ああ、よく一緒に遊んでる子?」
すると、シャワーも話に入ってきました。シャワーはもうおじいさんです。
いつもは健太とシャンプー達の話を静かに聞いていることが多いので、健太は少しびっくりしました。
「おふろに入っている時に、シャンプーや石けんが話しかけてきたことはないって」
「そうかい?」
タイルは、みんな気づいてないんだよ、と少し笑いました。
「おまえ、からかってんの?って言われた」
「それで、何て言ってやった?」
タイルはケンカや争い事が好きです。面白そうな口調で健太にたずねます。
「まさか。毎日話しかけられてうるさいから困ってるんだ、って言った」
「それで?」
「いいなぁって。俺もそういうお風呂入ってみたい」
ぎゃっはっはっとタイルは笑いました。
「な?おふろに友達がいっぱいいて、楽しいだろ」
「健太は嫌かい?」今までずっと黙っていたシャワーが口を開きました。
「いやじゃないけど・・・ちょっとうるさい」
シャワー達はひたすら、健太に話しかけてくるだけで、一緒に遊んではくれません。
湯船につかっている時間や、髪を洗う時間が短すぎると注意してきます。
「そうか」シャワーじいさんは、低い声で分かった、と言いました。
あくる日。お母さんが小学校に行く健太を呼びとめました。
「健太!ついでに、ゴミを出して行ってくれる?」
「はーい」
健太はマンションの横にあるゴミ置き場に行きました。
「あれ?」
ゴミ袋には、シャンプーとリンスが入っています。
もうなくなったっけ?
その時、健太ーと呼ぶ声が聞こえました。同じクラスのノブです。
「待ってー」
健太はノブの方にかけていきました。
その日の夜。
健太がお風呂に入ると、今までいたシャンプーとリンスはいなくなっていました。
代わりにオレンジが描かれたシャンプーとリンスがいました。
「新しい人?」
健太はつぶやきました。
誰からも返事がありません。
「ねぇ!新しい人が来たの?」
今度は大きな声で言いました。
「そうだよ」シャワーがこたえました。
「ふーん」
健太はそう言いながら、湯船につかりました。
「今度は静かな人達なんだね」
一番おしゃべりだったあのシャンプーとリンスがいなくなると、こうも違うのかと健太は思いました。
「オレンジさん達も、おしゃべり好きだよ」シャワーが言いました。
「え?そうなの?」
「ただ、静かにしてもらっているだけさ」
「え?」
「前のシャンプー達には出て行ってもらった」
「どうして?」
健太は叫びました。
「健太くんが困っていたからだよ」
「僕のせいなの?」
「健太くんのせいじゃないよ」
「でも」健太は少し悲しくなりました。
「主(あるじ)を困らせてはいけない。これがお風呂にいる者達のルールだよ」
その日のお風呂は、健太が小学校に入ってから一番静かなおふろでした。
次の日も、その次の日も、おしゃべりがないおふろに、健太は入りました。
「よかったじゃん」たかしは健太に言いました。
「これで誰も、もっと洗って、とか歌が下手、とか言わないんでしょ?」
「うん」健太は答えましたが、何かぽっかり心に穴が開いたような気がしました。
シーンと静まり返ったおふろの湯船につかりながら、健太は今日の出来事を思い出しました。
今日は遠足でした。たくさん歩いて、一駅向こうの広い公園に行きました。
健太はたかしやノブ達と鬼ごっこをして、汗びっしょりになりました。
「あらー、汗びっしょり。すごいにおいね」あのシャンプーならこう言うでしょう。
「いいな、遠足。お母さんのお弁当は何だった?」くいしんぼうの弟、リンスはこうたずねるでしょう。
「早くきれいになってもらわなくちゃ」しっかり者の、バラのボディソープ。
「誰かケンカしなかった?」興味津々の兄さん、タイル。
みんなが健太に話しかける言葉が想像できました。
あんなにうるさいと思ってたのに。
お母さんみたいだと思ってたのに。
それでも、春の運動会の時は、みんな褒めてくれた。僕がリレーで一番取れたから。
健太は胸が熱くなりました。気づくと、涙が一筋、頬を伝っていました。
今日みたいな遠足の日は、みんな、いろんなことを僕にきいてきたのに。
健太は初めてさびしい、と思いました。
僕がこうやって泣いたら、絶対誰か話しかけてきたのに。
今も同じシャワーじいさんも、ブラシも、タイルも静かなままです。
「何でだよぉ。泣いてるんだから話してよぉ・・」
どんどん涙があふれて、頭がぼおっとしてきました。目の前の鏡も、洗面器に入っている水もぼやけてぐにゃぐにゃしています。
その時、洗面器の水がきらっと光りました。
健太が涙をぬぐってまた見ると、きらきら光りました。
「今度は健太くんから」
ささやくような声もきこえました。
「今度は健太くんから」
壁のタイルについているしずくも、きらっと光りました。
「今度は健太くんから」
床についているしずくも、きらきら光っています。
「今度は健太くんから」
「僕がたくさん話せばいいの?」
きらきらきら。きらきらきら。
そうだよ。そうだよ。話して。話して。
みんな、きいているから。
「わかった!じゃあ、今日の遠足の時のことを話すね」
健太は話し始めました。
「たくさん歩いて、やっと公園に着いたら、たかしがさ・・・」
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